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雑日記
題名は粉川哲夫先生にあやかった。身辺雑事・雑感をここに容れてゆく。
このページは純粋に活字ベースの情報しか載せず、写真や動画、音声、外部リンクは一切載せない方針だ。(2023年9月 誉田千尋)
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2023年12月9日土曜日
未来予想(特に根拠はない)
▶︎東海道リニア開通
「旧」東海道新幹線は旅客車両を廃止(バス会社の仕事を守るという名目つきで)され、高速貨物線に転用される。しかしリニアは高額で、東京-名古屋間で5万円はくだらない。リニア化と「旧」新幹線の廃止、運賃上昇はセットのものとみなされ、正当化される。その後各新幹線がリニア化されてゆくが、全くリニア化されない路線もあり、「表」日本と「裏」日本との経済格差を浮き彫りにする。
▶︎電気自動車
今日だれもが携帯電話を持っているように、先進国(日本も一応そこに含まれている)の人口のほとんどが自動車を所有するようになる。自動運転が標準なので赤ん坊までもが自動車を持てる。自動車といっても、今の小型乗用車と電動スクーターの中間のようなサイズの様々な外見や用途を持ったものが増える。それらのモビリティは一見「クリーン」で「スマート」だが、頻繁なモデルチェンジと膨大なレアアースの消費によって、環境破壊、気温上昇、南北半球の格差を著しく助長する。
電気自動車のオーナーは無人のクルマを走らせることで様々な利益を得ることができる。10台以上の自動車を所有し、運用する個人もある。庶民は自分のクルマをウーバー的業務に貸し出す。またある種の儀礼的、社交的、「ブルシットジョブ」的理由から無人自動車を走らせることが慣行となる。したがって主要な自動車専用道路はクルマに溢れ、常時渋滞している。だが生身の人間が乗った車両は「ほとんどない」。このような道路を走る有人車両は大別して3種類である。物好き、プロフェッショナル、貧乏人。
名ばかりとなった「高速道路」を走る無人自動車の中には、所有者も目的もわからない謎めいたものがある。それらは高性能な太陽光電池を備え、数年間ほとんど停車せずに走り続け、走行中に消耗して打ち捨てられる。
▶︎温暖化
国際紛争に負けた側は、賠償の一部として、戦闘とそれに伴う破壊のために生じてしまった温室効果ガスを償うことが義務付けられ、一種の経済的ペナルティ(罰ゲーム)とみなされるようになる。また温室効果ガスの排出権そのものが軍事衝突の原因となることもある。
政治的、経済的に決定された不平等な炭素固定ノルマはバイオテクノロジーと結びつき、怪物的な合成植物の開発を促す。より多くの二酸化炭素を固定するために最適化された遺伝子組み替え植物が一部の地域に繁茂し、破壊的な生態系破壊をもたらす。
自分で書いて思うが、絶望的に平凡だ。
(2023年12月9日最終更新)
2023年12月4日月曜日
大島渚『日本の夜と霧』(1960)。「6.15」のあったその年のうちにこうした映画を撮れてしまう大島の瞬発力に驚く。濡れて汚れた石畳。
(2023年12月9日最終更新)
2023年12月1日金曜日
5月から通いつめていた市立図書館の浪曲CDをあらかた聴いてしまう。浪曲を聴き疲れたので最近の人の古典落語をSpotifyで垂れ流す。なんとなく知ったつもりでいた落語だが、芸の細やかさであるとか、幕末明治の雰囲気であるとか、枕で連発されるミソジミー的ネタ(若手にはさすがにそういうものは少ないが)であるとか、子供の頃ラジオなどで聴いていたときには気づかなかったことがたくさんあった。音楽と違い、話芸はながらで他のことをするのが難しい。聴くことに没入しなければならない。録音で落語をきくということは寂しいものだ。ステレオ仮想現実空間の親密な雰囲気に身を浸し、時代から隔絶された古い庶民の物語を聴き、笑いながら、独りで、ただただ時が過ぎるのを待っている。そう、待っている。独居老人メディア。
(浪曲は、それがすべてではないにせよ、大きな物語を語ろうとする。権力に擬態し、人間の善悪にけじめをつけようとする。嫌悪感を催すような古臭いイデオロギーだと感じられたとしても、それはこちらに斬り込んでくる。落語にはそれがない。だが遠からずまた浪曲の時代が来るのかもしれない。)
ところで、ブラッドベリの小説に出てくるバーチャル家族のユーザーには、無為に時を過ごしているという意識は生じるのだろうか。
(2023年12月9日最終更新)
2023年11月27日
雑音の精妙な肌理を味わうためには、「いい音」(再現性の高い聴取環境)で聴かなければならない。録音されたノイズミュージックのパラドクス。
(2023年12月9日最終更新)
2023年11月26日日曜日
できないことはやらぬこと。他の人がやればいい。
欧米の学者作曲家に媚を売るような「電子音楽」ならやめてしまえ。あれはもうほとんど古典芸能だ。
ウェーベルンの弦楽作品をいくつか聴きかえす。音と音の間に「隙間」がある。「環境」がある。そのように聴いてしまう。私はいまだに80年代を引き摺っている(波の記譜法……)。ストラヴィンスキーが言ったとされる言葉ではないが、「目を瞑って」文盲的にそれを聴くなら、その経験は、「はっきりとはわからないが、何かの理法が働いているらしい」というモヤモヤしたアンビエンスそのものを味わう、ということ以上でも以下でもない。要するに自然現象をぼーっと眺めているようのものだ。
ここ数日、喉の奥がスースーする。極めて不快。
(2023年12月9日最終更新)
2023年11月23日木曜日
「結局、思想がないんですよ。左とか右とかは関係なくてすべて新自由主義なんです。誰もが目の前で繰り広げられている椅子取りゲームに勝つことしか興味がなくて、その場その場をどう振る舞えば自分にとって得になるかと考えている。そうした新自由主義的な振る舞いが学生運動にまで浸透しているということだと思います。」佐藤優によるSEALDs批判(池上、佐藤『漂流 日本左翼史』)。そうした新自由主義的な振る舞いは、大学にも「芸術」にも浸透しているとみるべきか。自分はどうか。
(2023年11月23日最終更新)
2023年11月20日月曜日
昨晩思いつめてコンビニで煙草を買う。1年か2年ぶりに煙草を吸う。吸わずにいてもチェーンスモーカーとしての所作は覚えているから困ったものだ。胸に負担がかかるのが如実にわかる。値段も上がった。10年前と比べて倍くらいになっているのではないか。ばかばかしいからこの1箱で止めようと思う。美味しかったが。
ASMR、音フェチなどと称する動画には興味深いものがある。未編集の効果音素材のようなノイズ(ミュジック・コンクレートの制作者にはおなじみの)をそれ単体で聴いて価値あるものとみなせるということ、それも多くの支持を集めているということは、かなりラディカルなことではないか。渡辺裕の「文化資源」という概念が適用できるかもしれない。防音室の需要が急増しているという話も聞く。音にこだわる時代が来ているのだろうか。だとしたらその背景には何があるのだろうか。
吸音芸術。たとえば、ヨーゼフ・ボイスのフェルト。聴覚XRが洗練されれば、物体による音の遮蔽や吸収をシミュレートしたプラグインが求められるようになるだろう。120デシベルのジェット機の騒音を完全に無化するためには、どれくらいの量のマテリアルが必要になる?
(2023年11月23日最終更新)
2023年11月18日土曜日
ありがたいことにそれなりに忙しく、あまり日記を書くひまがない。今日は冷たい雨が降っている。
「第3回虎造節全国大会」という動画を視聴。2代目廣澤虎造の子息がアナウンサーの山田二郎だったというのは知らなかった。NHKの秋山(隆?)氏は「三十石船」をアナウンサーの教材に採用したのだとか。司会をしている方も放送関係者とお見受けする。説経節以来の日本の語りものの系譜は、そちらに移行したのか。他方で、より今日的な、ネット配信をベースにした音や声の芸=術の中には、こうした系譜を引くものがあるのだろうか。
教室の窓の隙間風の音に「お化け」を感得するインドネシアの若い男たち。日本語学校の教師をしている人から聞いた話。ビッカフェ店主の堀江さんが「アンサングヒーロー」の大切さについて話す。ビッカフェのような場を作っている堀江さんその人が、そうした存在の一人のようにも思えるが。
(2023年11月20日最終更新)
2023年11月12日日曜日
うすら寒く、暦相応の気候になってきた。
人が心に思い浮かべる自然らしい音というものは、概して自然に存在するものではない。例えば「ポチャン」という擬音にあるような水音がそうだ。そういう音は自然にできないでもないが、「いかにも」と思うような音はそう頻繁には現れない。スタジオで作った方が手っ取り早い。録音した素材の再生速度を遅くして(=ピッチを低くして)音の存在感を増すという方法は効果音屋の常套手段だが、コマーシャルフィルムの「シズル」のテクニックと似ていなくもない(ハイスピード撮影で食品のとろみを強調するといった)。武満徹が《水の曲》(だったと思うが、記憶違いかもしれない)を作るために、理想の水音を求めて東京近郊の水場を飛び回ったという話は、天才の常軌を逸したこだわりの発露なのだと思っていたのだが、むしろそれは若気の至り、青春の一コマとでもいうべきもので、案外彼は、スタジオで盥の水をちょろちょろぽたぽたさせた音を速度操作して満足したのではないだろうか、と近頃は思う。
(2023年11月20日最終更新)
2023年11月11日土曜日
兼好法師曰く、「……されば、一生のうち、むねとあらまほしからむことの中に、いづれかまさるとよく思ひくらべて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事をはげむべし。一日の中、一時の中にも、あまたのことの来たらむなかに、少しも益のまさらむことをいとなみて、その外をばうちすてて、大事をいそぐべきなり。何方をもすてじと心にとりもちては、一事もなるべからず」。
私はジャズをやりたいと思っていて、美大にはいたが造形美術を捨てた。十代の頃から兼好の言葉が頭の中にこだましていた。だが結局ジャズも捨てた。学校もやめた。ギターをやめてしまったことでいまでも苦しむことがある。あれほど打ち込んだ「大事」を捨ててしまったと、虚脱した感覚に苛まれることがある。だが、今日まで気づかなかったが、私は全てを捨ててしまったわけでもなかった。それは音楽ならぬ音響メディアによる表現であり、ペースはとろいが、確かに私はそれに打ち込んでいる。いわゆる「音楽」は、私の大事ではなかった。残念ではあるが。
ビッカフェで、デコトラの好きな20歳の画家に会う。
(2023年11月20日最終更新)
2023年11月10日金曜日
雨模様。虎の子の業務用録音機を修理に出す。32ビットに買い換えるにはまだ惜しい。
(2023年11月13日最終更新)
2023年11月8日水曜日
夢。森の中に川があり橋が架かっている。何かの行事で、子供達がその橋のたもとにいる。橋を渡ると街がある。木々に囲まれたとても小さな街だが、いい意味で都会的で活気がある。川崎にいた時分よく行っていた、溝口のジャズの掛かる喫茶店がそこに移転していた。誰かから瓶詰の福神漬けか何かを貰う。それをどこかに忘れたと思ったがちゃんと持っていた。こぼれたものを集めて拾う、など。こうして書いてみるとどうでもいい話だが、涙が出るほど懐かしい、経験したことのない経験。(以上夢)
「またりさま」の練習に参加し、帰りがけ小瀬さんと立ち話。彼女のやりたいことを色々かがう。プロデュース的なことをしたら?と言われる。たしかにやりたい。だが時間がない。帰宅後、天津羽衣の「母もの」を聴きながら、同期型のグラニュラーシンセサイザーをプログラミング。好きで聴いているとはさすがに言えない。浪曲というものを理解するために、耐えて忍んで聴いている(なぜ浪曲を理解したいのかといえば、それは近代日本の聴覚文化のなかで重要な役割を果たしたと思うからだ)。しかし、幕末の侠客伝は面白く銃後の母の物語は聞き苦しいという私の感覚にはどんな根拠があるのか。「清水次郎長伝」を面白いと思うために、やはりそれなりの努力をしたのではなかったか。私の感覚に理由があるとしたら、それはこうした物語が現代人に訴えかけるイデオロギーの強度の比なのだろうか。
(2023年11月13日最終更新)
2023年11月5日日曜日
今日は昨日と違うことが起こっている。つまり、作業は進展しているか否かはともかく、動いてはいる。だがやはり空回りなのか。東京の地下鉄、という突拍子もないアイディア。「楽音」が寄り集まると排他的になる。和す音と和さぬ音との対立を決定的なものにしないためにはどうすればいい?
(2023年11月13日最終更新)
2023年11月4日土曜日
新しい短編映画の計画が来る。荒編ができるまで脚本を送らないよう監督に頼む。 昨日今日と素材録音。アンビソニックス向けのマルチチャンネル素材などを収録。
(2023年11月13日最終更新)
2023年11月1日水曜日
体調が悪く、昨日、一昨日と臥せっていた。病になると、特にそれがはっきりとした痛みを伴うものだと、見るもの聞くもの全てが苦痛になって、にわかに無常観をかきたててしまう。自分にはもう大した時間は残されていない。選択肢に迷うような贅沢はもはやできない。いま手元にあるものがすべてなのだ。というようなことを横になりながらぐるぐると考えていた。いま体を起こしてパソコンの画面を見ていても、そんな感じがする。何か強い決意といったものではなく、諦念に近い感じ。30代になるとはそういうことなのか。それでも、10年後に私はまた同じようなことを日記に書くのではないか、5年前にも同じことを考えていたのではないか、という恐怖をも感じる。
9月の豊田市美でのパフォーマンスの記録写真を見返す。小さな写真を見ながら何かしている姿は内向的で、自慰的な印象を受けた。
(2023年11月13日最終更新)
2023年10月28日土曜日
今年3月に書いた「今年の目標」のような文を読み返す。「時間はかけていい。数ではない。確実に世に出せるものを作る」、「無駄金を使わない」、「自分勝手に遠慮しない」、「いま共闘できる人を探す」、身につまされることを書いている。とりあえず目標どおりスペクトログラムを使った映像作品を完成させ、ささやかなりとも「世に出」した。それはいいが、その先はどうする? かなりの金と時間を無駄にしてしまったようにも思う。
自分の日記をネットに載せるということを振り返る。日記と言い条、内省が見栄に引っ張られている観がなくもない。一方で、無防備に自己を晒しすぎていると思うところもある。夢の内容であれ、あくびであれ、自己を、誰に、どう表象するか、という問題がある。そういうことを考えるために、行き当たりばったりで「雑日記」を始めたところがあるが。また他方には、情報を発信したり意見を言ったりする際の責任の問題がある。
大して量もない文章を読み返すと、自分自身の浅ましさを鏡で見せられているような思いがする。コミュニケーション下手でコンプレックスの強い男が、一人で吠えている。それ以上でもそれ以下でもないという印象を受ける。
短くて妙に凝った言い回しは、ときに無用な曖昧さと誤解を生みはしまいか(9月16日)。
その内容の、「知性」や「正義感」のアピールといった側面がいやらしく感じられるところがある。たとえば、フェミニズムに理解がある、というそぶりを見せることは、男性たちのあいだでのマウンティング合戦で優位に立つための戦略でないと言い切れるのか(10月2日)。
書くなら、書くべきことは他にもあるのではないか。私に「知りすぎている」と言った学生は、私に多くのことを教えてくれた人でもあった(10月13日)。
(2023年10月28日最終更新)
2023年10月18日水曜日
秋田にゆく。とくに何という事もなく、用事をすませて慌ただしく帰る。昔より乗り物に酔いやすくなった気がする。シンカンセンの中で渡辺裕を読む。もっと早く読まなかったのが悔やまれる。
(2023年10月20日最終更新)
2023年10月15日日曜日
名古屋へいまいけぷろじぇくとを聴きに行く。その後図書館に寄ったあと、ビッカフェで小瀬泉さんのライブを聴く。ベースの安藤明さんとともに素晴らしい演奏。こう書くと気恥ずかしいが、生きていてよかったと思った。私のような半端者に響く演奏だった。私はライブペイントというものを良いと思ったことがないのだが、今回出ていた清水さんは肯定的に見れた。演奏家との相互交流がしっかりとあったからだろう。素敵に歳を重ねてきた人たちのパフォーマンスだった。
(2023年10月20日最終更新)
2023年10月13日金曜日
上野千鶴子さんの書くものに出てくる「パンピー」や「中3階級」という言葉は、この人のユーモア(=心の余裕)の現れなのだろうが、今は何につけても余裕のないご時世だから、こうした表現を、他者を侮ってもよいというサインだと解釈する者もいるのかもしれない。バズったといわれる東大入学式の祝辞ですら、偏った引用をされると嘆いておられるくらいだから。
某一流私大の学生に「知りすぎている」と言われたことがある。知識へのアクセスには、正規のルートと非正規のルートがあるのか。いい表現か知らないが、『タイタニック』に出てくるような上流階級の人間が、成り上がり者の無作法さを見下すような意識が見え隠れしていた。なるほど学術論文でも書くなら作法(マナー)も倫理(エチケ)も必要だろうが、私は道楽で本を読むに過ぎない。
(2023年10月20日最終更新)
2023年10月9日月曜日
70年代はノスタルジーの時代だった、という印象がある。民俗的なもの、地方的なものが脚光を浴びた時代だったという印象が。戦後の焼け跡から経済成長を実現し、物質的な欲望をひととおり充足させたあとで、土の香りが恋しくなってきた時代だといおうか。個人的に思い入れが深いのは小沢昭一のレコード『日本の放浪芸』(1970)だ。「エロ事師」としての小沢は正直共感できないが、各地の芸能を精力的に取材し続けたフィールドワーカーとしての小沢は尊敬している。このころは、明治生まれの人が現役だった最後の時代だ。前近代的な生活がまだナマモノとして生きていた。逆にいえば、在りし日の日本を記録する、これが最後のチャンスだ、という意識があったのだろう。
「〇〇地方(県)の民話」などというシリーズ本は70年代のものが多い。えてして、箱入りで絵や写真がふんだんに盛り込まれた豪勢なものだ。「日本の原風景」という言葉もそうだ。これはそもそも国鉄の旅行キャンペーンのキャッチフレーズとして70年代に作り出されたものだ。
豊田市美のイベント「波音と夏の午後」のために6〜70年代の絵はがきを大量に買ったら、中に大阪万博の絵はがきが一組あった。永遠に古ぼけた光景だ、と私は思ったが、私よりふたまわり年長の知人は感慨深そうに見ていた。そして電気釜かUFOを思わせる外観の日立館を指差して言った。「ぼく、この星からきました。」だから、こうした光景は完全に過去のものになったわけではなかった。
松本俊夫と湯浅譲二のタッグによる、せんい館の「スペースプロジェクション」。記録フィルムに写っている観客のお爺さんの顔が忘れられない。夏物のシャツに扇子、かっと目を見開いた驚愕の面差し。おびえているようにすら見える。彼の表情は、儂がいま・ここで体験しているものは芸術でもなんでもなく、ただの過剰な感覚刺激にすぎない、と言っている。だが、その直接性こそが、環境芸術が求めた当のものだったのかもしれない。
(2023年10月13日最終更新)
2023年10月7日土曜日
気温差が激しいせいか風邪気味。
マルチスピーシーズ人類学はロマン主義の「あたらしい改良版」ではないはずだ。たんなる「擬人化」や「感情移入」をマルチスピーシーズ的だということはできない。そのような短絡は危険だが、ファッショナブルではあるのかもしれない。
(2023年10月28日最終更新)
2023年10月6日金曜日
一昨日の雨が上がってから驚くほど寒い。
ゴタゴタした古本屋で古いソノシートを見つける。量産品ではない、個人制作のものらしい。シートの端の溝のないところを粗雑にハサミで切り取った跡がある。店にはなぜかレコードプレーヤーがあったので試聴。ベートーヴェンのピアノ曲らしきものを、初老の店員と一緒に聴く。そんな夢をみた。
《ナハトムジーク》の感想を電話やLINEでいただく。
エクアドルの音楽祭で私の作品をやっているのだそうな。ありがたいけれども、なんの実感も持てない。
(2023年10月9日最終更新)
2023年10月3日火曜日
1960年6月15日、国会議事堂前での安保デモと警官隊との衝突を唯一実況中継したのがラジオ関東だった。この報道の内容は書籍化されている。録音も出回っているようだ。アナウンサーは島、久保田というふたり。島アナは野球の実況で有名な島碩弥。久保田という人のことは知らないが、やはりスポーツ関係だろうか。
「……さらに一台、また今一台、救急車が出てまいりまして、サイレンの音も高らかに病院へと急ぐところでございます。」
負傷者が続出している凄惨な現場で「サイレンの音も高らかに」という言い回しが妙に場違いな感じがして、不謹慎だが笑ってしまう。甲子園じゃあるまいし。島アナウンサーは警官に殴られて血まみれになっても喋り続ける。環境の「いま・ここ」を説得力ある形で伝達するための修辞や常套句が、極限状態で試されている。
(2023年10月9日最終更新)
補足と訂正:「唯一実況中継」というのは語弊があった。安保闘争はメディアの格好のネタだったから、デモには連日放送局や記者が押しかけた。しかし、6月15-16日深夜の警官隊による強制排除の顛末を生で報道したのはラジオ関東しかなかった、という意味での「唯一」。アナウンサーの数も2人ではなかった。この日記を書いたときには手元になかった資料にはほかのアナウンサーの名前も載っており、正確な人数や報道の体勢はわからない。(2024年2月10日)
2023年10月2日月曜日
宿を出て家路につく。泊まっていたのは大手のビジネスホテル。ベッドが苦手なのだが、思っていたより快適だった。
昔同じ系列店で、女の人たちに混じって客室清掃の仕事をしていたことがあった。あまり他人とコミュニケーションを取りたい気分ではなく、家から近かったのでその仕事をしていたのだが、私のエプロン姿を見て軽蔑的な顔をしたり、絡んでくる男の客がたまにいた。そういう客には若いのも古いのもいた。かれらの反応は、かれらが「女の仕事」だと思っているものを男がしているという当惑から発せられるものだろう。そういう反応を見るのは不愉快だったが、その不愉快さ——もっと端的にいえば怒り——の内実とはなんだったのか。
当時も意識していたが、私の怒りはたとえば「自分も一個の男子であるが、訳あって女の仕事をするという屈辱に甘んじているのだ、いつまでもこのままではいないのだ」というものではなかったと断言したい。なるほどそれは週5フルで入ったとしても自活できるほどの収入にはならないパート職で、学生の生活の足しにするようなものでしかなかったから、「いつまでもこのままではいないのだ」には違いないが、女性の仕事なのに……という意識は私にはなかった。ただそのような狭量は現に世間にあり、それが自分に当てはめられているらしいという点に不快感があった。そして他方には、男女不問で求人しているとはいえ、そうした仕事は雇用する企業によってすでに「女性的な」演出がさまざまに施されているということがあった。
高速バスの中でむかつきながらそんなことを思い出した。〽︎お茶の香りの、東海道……。
(2023年10月2日最終更新)
2023年10月1日日曜日
東京二日目。
渋谷でティッシュをもらう。「とにかく今すぐ最低賃金1500円以上 東京春闘共闘会議」とあった。
イメフォで川添彩さんの『とおぼえ』上映。ほぼ満席なのには恐れ入った。適正な音量で上映してもらえたので満足。ステレオとセンターモノラルの使い分けが効果的でなかったと反省。同録と後づけの効果の音質の違いが気になるところがあったり、イコライジングのムラが目立った。実家の劣悪な環境(冷房のない真夏の民家でセミと工場の音がうるさいときている)で、安い機材で作っていたとはいえ。私の責任ではないが、映像のテンポが早い。あっという間に終わってしまって物足りない感。「まだまだだなあ」ということで川添さんと意見は一致した。質疑応答でまた少し舞台に顔を出す。大久保健一さんの質問にうまく答えられなかったとあとで反省。そのわりには悪目立ちしてしまったような気がする。もっと監督を立てるべきだった。
能瀬大助さんはとても論理的な思考の持ち主だが、驚くべきことに、彼の『ライカワアッ』の面白さはまったく理屈を超えているとしかいいようのないような質のものだ。この人はいろんなことに興味を持つ人だが、いやらしい理屈っぽさがない。『ナハトムジーク』についてもいろいろな感想や質問をいただいた。あの英語字幕は良くないといわれる。確かに私も妥協したと思う。修正版を作るか。
上映後、石田尚志さんはじめ多摩美関係者で飲み。『とおぼえ』の俳優の一人から、道玄坂の再開発の噂を聞く。
(2023年10月3日最終更新)
2023年9月30日土曜日
昼行バスで東京へ。前夜読書に夢中になってほぼ徹夜(上野千鶴子、鈴木涼美『限界から始まる』)、夜行を嫌って昼にしたのに、夜行に乗ったのと変わらないようなバテ具合で東京に着く(私はバスの中で眠れないので)。その後イメージフォーラムで『ナハトムジーク』上映。自作の良さ悪さを客観的に知る機会になった。赤堀さん、門脇さんはじめ、イメージフォーラムのスタッフの方々には感謝している。岩崎くんと、あとで知ったが東京で勤めている弟が来てくれていた。能瀬さん、川添さんに会う。レセプションで出品者の人たち数人と話す。
ゲーテ・インスティテュートで七里圭+足立智美をみる。『Music as Film』を今見返すと、映像表現は奇抜だがお話は結構陳腐だという印象を受ける。視聴覚のジェンダー化、男の支配欲、映画の「本質」。たいてい音屋の仕事は撮影後に始まる。足立さんはこの作品をパフォーマンスという形で「批評」することもできるが、この映画についての彼の考えを知りたいと思った(パフォーマンス終了後すぐ出てしまったので、アフタトークでそんな話をしていたのかもしれないが)。「音から作る映画」といえば、私の『ナハトムジーク』はズバリそうだが、七里圭作品とは正反対の表現といえるかもしれない。
久々に東京に行くと、臭くてうるさい、いるだけでカネを取られる、嫌な街だと思う。それでもすぐに慣れる。清々しくも寂しい境に浸り、無縁の人になることに快を見いだす。
渋谷中村書店で木村哲人『音の作り方』購入。
(2023年10月3日最終更新)
2023年9月29日金曜日
中学生の時、職場見学で近所の町工場に連れて行かれた。町工場といっても、東南アジアのどこそこにも工場があるといったそれなりの規模の会社だった。そこの社長という人は、やってきた中学生一人々々に高級なステンレスのボールペンを与え、マンゴーの干物を食べさせて、引率の先生に自著をプレゼントした。彼はちょっとした右翼で、大日本帝国軍は素晴らしく、侵略戦争などは嘘っぱちだなどという内容の本を書いていた。引率の先生にしてみれば想定外の展開で慌てたのだろう、生徒たちの前でその本を恭しく頂戴した。見学を受け入れてくれた社長の機嫌を損ねるのはよくない。社長はマンゴーを齧る子供たちに自説を述べ立てた。そのあとで金属加工の現場を少し見学させた。他人にやたらとカネやモノを与える人を見るとこの人のことを思い出す。
4月から、少ないなりにも月給をもらう身になって半年が過ぎた。奇妙なことにドケチになった。 東京にいた頃は、月10万円にも満たない収入でも本だけは買っていた。家にネットはなかったしスマートフォンは壊れかけていたが、『インター・コミュニケーション』のバックナンバーなど、結構な冊数を買った(思い返すと可笑しい)。カーティス・ローズの『コンピュータ音楽』も、当時刊行されたばかりだったクセナキスの訳書も買った。いま、カネを使うことが恐ろしい。それがために意識的に飲み食いや買い物の話を日記に書いているふしがある。これはどういう病なのか。
(2023年10月2日最終更新)
2023年9月25日月曜日
洗濯と買い物。東京に持ってゆく手土産を買う。帰ってちんたらプログラミング。古川訳『平家』読了。変な集中のしすぎで気持ち悪くなる。夜更けに気分転換に新規川を下って鷺の鳴き声などを録音。もうシャツ一枚では寒い。
全然作品が作れていないという焦り。なぜ自分はこうも手が遅いのか。苛立たしい。そして手軽に展示ができる場所が欲しい。
「ありえたかもしれない」——ということは、現実には決して「ありえない」ということだ。それは「この道しかない」という新自由主義的なスローガンと驚くほど似ている。なぜか。なぜそうなってしまったのか。
2023年9月24日日曜日
誰か「改造論」を書かないだろうか。なんのことかというと、ひと昔まえ男の子たちの間ではやったモーター駆動の車両型プラモデル「ミニ四駆」の人文的な考察である。
漫画やアニメは想像界のことだけを考えればいいからいわゆる「文系」の人にはとっつきやすいのかもしれない。あるいは文芸批評や映画理論のような深い蓄積のあるものを流用しやすいのかもしれない。ミニ四駆も漫画やアニメと連動したマルチメディアな広がりを持っていたから、オタク的な要素がなくもないが、抜本的な違いがある。子供たちは、ガンプラは作れても本物のガンダムパイロットにはなれない。だがミニ四駆を作った子は本物の「ミニ四レーサー」である。そしてレーサーの創意に富んだ「改造」によって、彼のマシン(ミニ四駆の本体のこと)は実際に強くも速くもなりうるのだ。だから、「改造」とは何か?それをどう捉えるかが、「ミニ四駆文化論」のキーとなるような気がするのだ。
ミニ四駆の改造に関しては、有名な逸話がある。ステアリング機能がないミニ四駆は自律的に進行方向を変える事ができないので、高い壁で縁取ったブラスチック製の専用コースで速さを競う。マシンは車体に付属したダンパーをその壁にこすりつけるようにして進行方向を変え、所定のレーンの内側を走ることになる。ある少年が、ダンパーに洋服のボタンを釘付けにしてレースに参加した。ボタンはコースの壁に当たり、ころころと回転してマシンと壁との摩擦を和らげたので、彼のマシンは減速せずに素早くカーブを曲がることができた。これを見たメーカー側はこどもの創意工夫に感心し、そのような改造が様々にできる余地を製品に作り、改造用のパーツを発売することを始めた。
それは解放であるとともに囲い込みでもあった。タミヤは自社製品以外のパーツをレースで使用することを禁じたのだから。
マシン、男の子たち、『コロコロコミック』、工具と改造パーツ、おもちゃ屋と模型店、アニメ、競技会と公式ルール、メーカー、近所の空き地や駐車場、改造のためのハウツー本、ミニ四ファイター、他社の類似製品、親と小遣い、女の子のきょうだいや友達……「ミニ四駆」とは、こうしたアクターの結びつきから浮かび上がる何者かである(早めに白状しておくと、私はブリュノ・ラトゥールについては何も知らない)。
そもそもは、タミヤ模型という静岡の模型メーカーが、80年代に自社の四輪駆動のラジコンカー(RC)を、小学生でも組み立てられるようなシンプルだが実際にモーターで動く製品に仕立てて発売したのがミニ四駆だ。詳しい経緯は知らないが、そうしたメカで遊んだ子供達の何割かが、長じて自社の高額なラジコンの購買者になってくれるだろうというタミヤの期待があったのだろう。初期の製品は皆「アバンテJr.」などというふうに「Jr.(ジュニア)」という語が製品(車種)名の最後についているが、これはオリジナルとなるRC製品に対するミニチュアとして「ミニ」四駆が位置づけられていたからだ。だがタミヤのRCそのものが、モデルとなる「車種」が存在するかはともかく、原理的には、本物のガソリン車の機構を精巧に模倣したミニチュアである。
やがて子供ウケを狙ってミニ四駆が漫画化されるようになると、「親」となるRCを持たない、ミニ四駆オリジナルの車種が登場した。つまり、漫画の主人公や敵役が持っているマシンがそのまま製品化されるという流れが生じたということだ。オモチャ化したといえばそれまでだが、面白いのは、このようなミニ四駆の独立にもかかわらず、RC特有の表象が残存し続けたことだ。それは車体から露出した「サスペション」である。要するに、実車にも必ず搭載されている、路面の凹凸による車体への衝撃を和らげるバネの部品だが、タミヤはこうした複雑な機構をもRCに実装しており、それが外装に覆われずに外部に露出した形態をとっていることがままあった。それを受け継いだ「ジュニア系」のミニ四駆もまた、そのようなサスペションの形態を真似たプラスチックの塊をマシンに付加した。で、漫画をタネにしたオリジナルのマシンにも、実際には機能しないお飾りのサスペションが付属した。
それは改造とどう関わるのか?フェティッシュ化したサスペションはミニ四駆改造の最終目的を示している。大きなサスペションが暗示する無舗装(オフ・ロード)の大地は、四輪駆動車の故郷だからである。
話を戻すと、成長した男の子たちはRCを買わなかった。そういうものから卒業したか、ミニ四駆をやり続けた。景気の悪化、娯楽の変化などの要因を語ることもできようが、かれらは何かの代替品ではない「ミニ四駆」そのもの面白さを発見していた。
ミニ四駆の年齢層が上昇するにつれ、改造の質は変容した。子供達のブリコラージュ的な、縄文土偶のようなマシンに、合理的で、高い工作技術とカネが注ぎ込まれたスマートなマシンが取って代わった。「オヤジマシン」という語がある。父親が自分で作ったマシンを子供に渡してレースに出すのである。このような競技を前提にした改造の変遷を辿ってゆくことで見えてくるものは何か。
ミニ四駆は放縦な想像力を抑制する。また性的なものが希薄だ。漫画やアニメの中に登場するミニ四駆がどんなに荒唐無稽で神話的であっても、ある種の真面目さが保たれている。なぜならミニ四駆は現にここにあり、スイッチを入れて走らせることもできるからだ。「ミニ四駆漫画」におけるミニ四駆はあくまでミニ四駆であり、マシンと子供達との関係は、あくまで現実のマシンと子供たちとの関係の延長線上にあり、巨大ロボットと少年といった大げさな関係に変容することは決してなかった。それは保護者を安心させる材料にもなったかもしれない。公認競技ではルールを遵守する紳士たることが求められる。それは模型という大人の趣味(ホビー)の世界の入り口でもある。
90〜ゼロ年代にはミニ四駆人気にあやかろうと多くのメーカーが類似商品や改造パーツを発売したが、当然のことながらタミヤはそのような製品を排除しようと躍起になった。また、公認競技規則(ローラーは6個まで、などといった)をそもそも度外視し、いかに速いマシンを作れるかということのみを探求する者もいた。これは私の推測でしかないが、このような探求の中から、「井桁」などの競技規則ギリギリの高度な改造法が編み出されたのではないだろうか。
タミヤ模型の真面目さと、その外部の有象無象。改造の自由と制限の狭間で、タミヤ、追従する企業、そして子供たち(若者たち?)はどのように振る舞ったのか。
女の子の役割。塗装などをしてミニ四駆を「かわいく」飾り立てて楽しむ女子がハウツー漫画に描かれるが、そのようなことをする人は実在したのか。一方で、タミヤは「女の子向け」の改造パーツを発売したようには思えない。
「ベイブレード」や「ビーダマン」のような、同時期に流行したカスタマイズできるおもちゃとの比較。
「つくば」的な想像力に彩られた『爆走兄弟レッツ&ゴー!』における、GPチップと称する人工知能を搭載した自律式ミニ四駆は、今日問題になっている電気自動車と自動運転技術そのものである。爆発的な人気を誇った『レッツ&ゴー!』を観てミニ四駆を作った世代は今30〜40代、かれらが社会的な力を増してゆくにつれて、かれらの内なる「ミニ四駆的なるもの」はどのように社会に発現するのか、あるいはしないのか。
(2023年9月29日最終更新)
2023年9月23日土曜日
古川日出男訳『平家物語』に熱中し過ぎて昼夜反転しかかっている。
要するに、私は作るのが怖いのだ。
2023年9月22日金曜日
職場で個人のSNSの使用についての注意が与えられることはよくあることだが、企業は従業員や就職希望者の思想や習慣や消費パターンをチェックするためにSNSを利用しもするようだ。では逆にいい若いもんがSNSその他の手段でネット上に自己を晒すということを一切しなかったとしたら、そのことは人事課やその手の業務の下請屋にとってどのような判断の材料となるのだろうか。
広沢瓢右衛門『雪月花三人娘』(1976)レコードを入手。小沢昭一の『放浪芸大会』で最初のところだけは聴いていたが、そのときは浪花節というものがどういうものか知らなかったのでこんなものかと思って面白く聴いただけだった。虎造はじめ色々聴いてから改めて2枚組LPを通しで聴いて、その異色に驚いた。小沢は当時一般的だった浪曲の重苦しい義理人情の世界のイメージに対比させて、瓢右衛門の芸の「軽妙洒脱」を強調し、桃中軒雲右衛門以降の大劇場で忠君愛国を重厚に謳いあげる「浪曲」に対して、寄席で膝付き合わせて演じるケレンに満ちた庶民の娯楽としての古き良き、だが失われてしまった「浪花節」を称揚する。瓢右衛門師の人柄の魅力も合間って、その主張にはかなりの説得力があるのだが、私が『雪月花』を通しで聴いてもっぱら興味を引いたことは、この演目が今日録音で聴くことができる戦後の浪花節の多くとは比べ物にはならないほど複雑なストーリーを擁しているということだった。まるで現代音楽を聴いているようだった。その複雑さの質をひとことで言えば、聴衆の記憶力を試すようなところだろう。思い切った場面転換のあと長々とその話題が続き、いつになっても前の話との脈絡がわからないが、突拍子もないところで以前の場面の登場人物が現れる、というようなストーリーの作り方だ。伏線がとても長いのだ。
『雪月花』は「新聞(しんもん)読み」という浪花節の古いジャンルに属している。字面の通り明治の新聞の連載小説などをもとにした浪曲で、70年代当時これができる人はすでに瓢右衛門しかいなかったそうだ。小沢も『雪月花』の複雑さを認識しているが、「何やらゴチャゴチャしてよくわからんが、とにかく面白いんです!」というふうで、あまり深入りしない。『雪月花』の物語の複雑さ=伏線の長さは、すでに活字ベースで完成した新聞連載の長編小説を音声化するという過程を経ていることによるのではないだろうか。それはオング的な「声の文化」か「文字の文化」かという分割では割り切れない、極めて近代的な——おそらくそれゆえに、今日ではとても古びた印象を与えもする——話芸の実践なのだろう。
(2023年10月2日最終更新)
追記:小沢昭一の「浪曲」対「浪花節」という区別は、概念上はともかく、実際にはそう簡単に割り切れたものではなかったのではないか。瓢右衛門という芸名は雲右衛門にあやかったというし、瓢師の『英国密航』に「忠君愛国」や「武士道皷吹」の要素がまったくないとはいえない。とはいえ、それは当時の一般常識やお定まりの世界観としてそうした要素が盛り込まれているのに過ぎないであって、ギャグ満載の『英国密航』に、特に勇ましい何かを鼓舞するという意図も効果もなかったとは思うが。(2023年11月13日)
2023年9月21日木曜日
なぜなのかわからない。50~60代の人が、やさしい顔をして私に向かってくるとき、非常な怒りを覚える。そのような瞬間がある。その怒りを表に出したことはない。だいたい私は自分が何に対して怒っているのかすらわからない。目の前にいる人にその怒りの責任はないということを理解するだけの判断力はある。だが感情を揺さぶられるので、その年代の人とは距離を取ってしまう。その世代は私の両親の世代に当たるということは容易に見当がつく。しかしその年齢の人でも所帯じみた雰囲気のない人とは平気で付き合える。こうしたことを並べても、その怒りの原因にたどり着ける気がしない。いずれこの世代の人々がすっかりこの世から消え去ったとき、私はどうなるのか。
2023年9月20日水曜日
周作人『日本談義集』より、日中戦争前の殺伐としたサウンドスケープ。
「宿で自動車のブーブーと音を出しながら突っ走るのが聞こえるたびに、近所の子供はその真似をして「korosuzo korosuzo!」(殺すぞ殺すぞ!)とはやし立てた。自動車の音がそういっているというのである。金持ちの自動車の効用は、平民から見ると、利益を追ってとび歩くそのデップリした実業家を運ぶというよりは、あたかも軍閥どもが拠り所とたのむ銃剣に似て路上で人を傷つけるための凶器に他ならぬのであった。」
ほかにも当時の好戦的な右派思想に染まった者は決まって極度の浪花節愛好家であった、という観察など興味深い。
仕事の関係でJavaScriptの勉強をはじめた。いずれ作品にも使えるだろう。JSはPureDataでも扱える。
制作はたいして進まず、仕事を終えてすぐ寝てしまう。
2023年9月19日火曜日
腐った飯を食べて食あたりになる。命懸けの吝嗇は吝嗇ではない。ただのバカだ。すぐに異変をきたして元気にゲーゲー吐けるのはある意味で若さの証拠なのか。菌だかウイルスだかの特性なのか。
「乃木将軍」、「吉田御殿」聴く。寿々木米若の良さが少しわかってきた。
一度組んだPdパッチをまたバラし始める。しばらくはこの繰り返しが続きそうだ。
2023年9月18日月曜日
じじいばばあの日。私がいうのではない。近所のスーパーの張り紙にそう書いてあったのだ。「乞うご期待!じじいばばあの千本引き」。昨晩同じ店で、値引の弁当を抱えて何食わぬ顔してセルフレジを素通りしていくじじいを見た。少なくとも目の悪い私にはそう見えた。世知辛い世の中である。
数ヶ月前に作ったPureDataパッチがどこにあるのかわからない。が、もうどうでもよい。とりあえずプログラミングは進展している。生きている意味が欲しければ、手を動かすことだ。ロルフ・ユリウスと池田亮司が意気投合してスペクトラリズムに転向したような、きれいだが妙に古臭い音が聴こえはじめた。
インターネット、インターラクション、インターフェイス、インター・コミュニケーション……。90〜ゼロ年代の遺物たち。
インター・フェイス。「インター」と「フェイス」をあえて切り離して口に出してみる。コロナで皆が遠隔で意思疎通していたときにこの概念についてよく考えた。zoomの画面越しに見える人の顔がマスクをしていることはなくはないが概して少ない。zoomの画面上でコミュニケーションすることとマスクをつけてしゃべることは、飛沫に含まれたウイルスが他方から他方へと移動することを防ぎつつ、タイムラグの(ほとんど)ない意思疎通を可能にするという点において等価である。それらは顔と顔を切り離すことと媒介することを同時になす。だからマスクをしている人間がzoomの画面に映っている光景は同語反復的である(喫茶店のような不特定多数の人間のいる場所からネットにアクセスするような状況は例外だ)。このようなインターフェイス理解は、PCのキーボードやGUIのようなものにも当てはまる。私は咳やくしゃみをする知人とウイルスを共有したくないのと同様に、二進数で思考する他者と機械言語を分かち合いたいという気持ちはさらさらないので、計算装置にとっては非本質的な様々なデバイスを用いてあちら側に働きかけようとする。このような点に重心をおいて考えるなら、インターフェイスは「保守的な」概念である(これは「保守的」だから良いとか悪いとか、どこぞの政党に近いなどという意味ではない)。
2023年9月17日日曜日
あたらしい生成プログラムはボイスの大まかな構造を作った。繰り返しのパターンをどう構造化するか、ランダマイザの挙動、これらが目前の課題。また複数種のボイスを用意するなら作業はその分増える。パラメタの生成に怪しげな進化計算アルゴリズムを使わず、より簡潔な方法をとるというのが今回の大目玉だが、これはまったく未着手。
月末イメージフォーラム・フェスティバルに行くための宿や東京行きのバスを予約する。川添さんの回も観なければなるまい。「林(誉田)は上映会場には絶対姿を現さない」などど言われているようではよろしくない(だが東京の住人は無邪気で傲慢である)。それにしても藝大の修了制作展でおそろしく小さな音量で『とおぼえ』を掛けられたのにはひどく応えた。あのような音量で上映されたのは単なる不手際か? 所詮私は映画音響という巨大な技術産業システムの外部にいる人間なので、いくら検索しても本を読んでも確信が持てない。楽しみでというより義務・責務として、東京にいかねばならない。とはいえ会場はイメージフォーラムだから、あまり心配はしていないが。
去年の4月に書いた文章を見つけた(以下に掲載)。
***
毎日ウクライナからの報せを耳にする。
「30代」、「低所得」、「低学歴」、「男性」である私には、兵隊にゆくということが、いまの生活の延長線上に、さほど違和感なく見えてくる。自分を重ね合わせてもっぱら想像するのは、自衛のためにみずから銃を取るウクライナの人々ではなく、プーチンの手足になっているロシアの平凡な若者たちのほうだ。誘い文句につられて身体も思考も拘束され、命懸けのキツい肉体労働に従事し、恐怖にかられ右往左往して自暴自棄になるうちに知らぬ間に犯罪人となり、死ぬか、生き延びても人々からの憎悪にさらされ、罪悪感にかられればいいほうで、自分のしたことを理解することすらできないかもしれない。
いまの生活に延長に「兵隊」があるといっても、私は人を殺す仕事をしたことがないから、やはり観念的な想像には違いない。それにもかかわらずそれが自然に想像できると思うのは、兵隊はつらいおシゴトであるという理解があり、それには到底及ばないにせよ、つらいおシゴトは日本にもたくさんあるということを身をもって知っており、いずれにせよその辛さの根底には、人間は使い捨てであるという事実があるからだ。
年末の物流業界は繁忙期で、短期アルバイトなどの勤務形態で人をあつめて、基地に集積された膨大な量のクリスマスギフトや歳暮をさばく。巨大な仕分け場での人員への指示は、スピーカーからの音声でなされるが、音質が悪くて何を言っているのかさっぱりわからない。各場所にマークをつけるとか、新参者に分かり良くするような工夫もない。作業場の勝手がしれず、指示されなければオロオロするしかない家畜の群れのような短期労働者たちは、傍目にはいかにも愚鈍な連中と映り、押し寄せる荷物の山と仕分け作業の混乱の中で自らもパニックに陥っている社員の怒りのはけ口にされる。年季の入った社員のおばはんが、「余計なことを考えるな」と拡声器に向かって怒鳴る。作業者が考えずに済むよう采配を振るのが彼女の役割だが、指示の内容は伝わらない。彼女には考える余裕がない。ここでバイトが働ける期間は年末の1ヶ月か2ヶ月だが、1週間でてきめん腰痛になり、社会保険などあるはずもなく、何年経ってもそれが治らない……。笑えない、情けない話だが、このような情けなさの果ての果てに兵隊たちがいると、私は本気で考えざるを得ない。
事実上の戦争の開始を宣言するプーチンの動画を見る。彼は執務室のような場所にいて、大きなデスクを前に椅子に腰掛け、カメラに向かって話している。顔はカメラに対して正面を向いているが体は斜めで、両手はデスクの端に触れている。風呂から身を乗り出して喋っているようだ。あたかも次の瞬間襲いかかってくる敵に備えて、トーチカのように頑丈なデスクに素早く潜り込めるよう身構えているかのようだ。その姿はかれ自身の臆病さを表しており、滑稽であるが、彼の向かって右後ろに見える3台の電話機——とりわけ目を引くのが様々なボタンがついた特殊な電話機——が私を凍りつかせる。あくまで私の想像だが、その機材のなかには、大統領の声を暗号化し盗聴を防止する、「ヴォコーダー」という装置も用意されているのではないか。3台の電話機は、ソビエト的権力の源泉にある官僚機構と諜報機関を集約した象徴として、最高権力者のそばに物言わず控えている。そんな印象を受けた。
***
ロシアにおける電話と権力、音声暗号機としてのヴォコーダーについては:
平松潤奈「ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』における声」(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター)
デイヴ・トンプキンズ 『エレクトロ・ヴォイス 変声楽器ヴォコーダー/トークボックスの文化史』新井崇嗣訳(P-Vine Books)
2023年9月16日土曜日
方法芸術とブルシットジョブ。コンピュータを使ってしかるべき方法で処理すれば一瞬で済むような退屈な仕事を、膨大な労力をかけて手作業で、当のコンピュータのためにやらなければならないというそのアホらしさ、その屈辱を、方法主義者たちは予見していたのではないか。
新しいプログラムを作り始める。4年間使い回してきた音響生成アルゴリズムに終止符を打つことになりそうだ。
養老で作っているもろこの佃煮がおいしい。煮過ぎずぱりぱりと骨が残っている感じが良い。魚は臭みがなく脂が乗っている。小さな魚なのに一匹一匹ワタを抜いている。モロコは川や湖沼にいる雑魚だからぼうふらや糸みみずを食べているかと思うと佃煮になった奴を食べる方が気持ち悪いから、念を入れてワタを抜いているのだと想像する。川魚料理は手間が掛かる。
2023年9月15日金曜日
ルドガー・ブリュンマーのZKMでの作品をYouTubeで聴く。いかにもなコンピュータ音楽だが、ブランデンブルク協奏曲よりかは構成面の参考になるか(本当に?)。静寂の多い、古典主義的な時間構成。興味深いヴィデオである。芸術家は無人のスタジオにひとり、高級そうなデスクチェアに静かに腰を下ろしている。暗くて広い空間に小さな照明が星々のように灯っている。彼の前にある机には音響を制御するコンピュータやミキサー、マルチチャンネルスピーカーの出力を監視しているらしいCGの表示されたディスプレーがあるが、作曲を終えた彼にはもはや何もすることがない。自らの創造した除菌されたアンビエントミュージックのようなものに浸っている。作品は2020年のものだそうだが、30年前に撮影されたのではないかと思わせるような奇妙な古臭さ。はっきり言って私は賛同できないが、それは音響作品そのものよりむしろその映像が暗示する芸術観に対してそのように思う。
2023年9月11日月曜日
昨日豊田で「波音と夏の午後」。お客は30人程度。脱落者は多くなく、イベントを知らずに途中から入ってきた人もいたようだ。レクチャー後、金子さんの声は枯れていた。人が多いせいかラジカセの音量が小さかった。また、大抵の人間は音源より光源についていくものだということを改めて知った(夏の虫のようなものである)。山田さんとラジカセは別個の表現をするというスタンスだったが、「映像流し」の射出するさざ波のイメージと、ラジカセが放射する潮騒の印象があまりにも違うということを本番中に気づいた。鈴木さんは絵はがきのアイデアをいたく気にいってくれたが、肝心のラジカセをどう思ったのか、微妙な感じがした。30数枚あった絵はがきはすべて配り切った。
あとでIAMASの学生の人に聞くと、ラジオのヴォリュームの操作で波の音を作っているということに気づかなかったらしい。金子さんもそんなことを言っていた。知人の感想を聞いたのだろう。くだんのIAMAS生の人はパフォーマンスのあとでラジカセを「演奏」していたことを知って驚いたそうだ。その驚きを万人に共有できるようなデザインが必要だったのだろうか。あるいは、それはひそやかな秘密でよしとするのか。イコンはそれと気づかれないということをも含む。E.コーン的なテーマが回帰してきたが、波音の「録音」だと思ったものが人力で演奏された電波ノイズだったということはどんな問いを孕んでいるのか?それは古い観光地の絵はがきやベンヤミン(のダミー)とどう関わりを持つのか?ラジカセで模擬された波音はアウラを持つが、カセットテープに録音された海の音はアウラを持たない?それはどちらでもよいが、そもそも「夏の午後」という言葉に引っ掛けてベンヤミンを持ってきたわけだが、彼のアウラの説明は環境のアンビエンスの記述だというモートンの読みを踏まえてのことだ。「波音と夏の午後」自体が、環境芸術のレクチャーと特殊なアンビエンスの創出の実験なのだから。
私は「コンセプト」という言葉を使うより、表現を構成した者の「思慮」がどうであったか、どうあるべきか、ということを考えたほうがいいのかもしれない。
2023年9月6日
夏休み休暇を取ったがさしたることはしていない。うだうだと新しい作品のプログラムを作ろうと試みるがはかどらぬ。モニタヘッドホン到着。夕方豊田市美の打ち合わせでようやく生きている気になる。
新作案
6作品1組の連作。
バイオミメティックな音響とスペクトログラム。
電源交流50または60ヘルツが作品の基調音となる。
こまごまとした文字がイメージシンセシスで現れる。
ゆったりとした時間の進行。
1作品15分程度?
シアター上映またはインスタレーションに展開。
「ナハトムジーク」よりも音楽性を重視する。音だけでも成り立つよう。倍音列と場合によってはリズム。
3次アンビソニック ?
低音の使い方の研究。
REAPERのトラックの賢い整理方法を研究。
音源をレコードにして、展示空間で爆音で再生、その場でスペクトログラムを生成…とか?
2023年9月5日
ウェブサイトに上げたSNSについての文章を門田君に誉められる。
2023年9月4日月曜日
「やりたいことがたくさんある」にも関わらず何も実現していないとしたらなぜか。
A. 才能がないから。
B. 努力が足りないから。
C. 精神的、物質的貧困が様々な活動を困難にしてきたから。
D. 「やりたいこと」がたくさんありすぎて集中できないから。
E. リスクを負うのが怖いから。
F. そもそも実現不可能なことを望んでいるから。
G. 本当はやりたくないから。
あるいは、何がやりたいことで何がやりたくないことかもわかっていないのではいか。それはやらないとわからないのではないか。
2023年9月3日日曜日
ビッカフェに行って茶を飲む。
駅前の老舗蕎麦屋で鶏の入ったそばを食う。
美術手帖のプレミア会員になる。そのことをいつまで覚えているだろうか。
ソニーのモニタヘッドホンを注文する。
大和田俊のことを意識する。昔本郷で見た。あの匂いは覚えているが、大して関心も持たなかった。5、6年前のことだ。彼は85年生まれだそうだから、だいたいいまの自分の年齢だ。
ひとつのアイディアで様々な作品が作れるということは重要なことだと悟った。絵描きや彫刻家は、たくさん作品を作る。いわゆるトラックメーカーもそうだろう。大和田のようなインスタレーションの作家は、作品の単位が違う。ひとつの作品が展示を重ねるごとに変わっていく。そういう場数の量が、画家にとっての画布の枚数にあたるような経験とキャリアになるのだろう。あるいはインスタレーションは音楽イベントの興行に近いものなのか。
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